会社沿革

関東鉄道の歩み

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鹿島参宮鉄道の観光バス

関東鉄道は、昭和40年6月1日、鹿島参宮鉄道と、常総筑波鉄道が合併して誕生しました。

当社の前身である鹿島参宮鉄道は、大正11年9月3日に設立され、大正13年6月8日、石岡~常陸小川間で営業を開始しました。その後路線延長を進め、昭和4年5月16日、石岡~鉾田間が全通しました。また、自動車事業へも進出し、昭和6年の潮来自動車商会買収を始めとしてバス路線網を拡大しました。さらに、竜崎鉄道及びバス会社16社買収し、茨城県南東部及び千葉県北東部までを営業基盤として発展しました。

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蒸気時代の常総筑波鉄道

一方、常総筑波鉄道は、明治45年6月9日、常総鉄道として設立され、大正2年に取手~下館間全線が開業しました。その後、自動車事業にも進出し、バス会社16社を買収、さらに、昭和20年に筑波鉄道と合併して、社名を常総筑波鉄道と変更し、茨城県南西部に交通網をめぐらし、地域輸送と筑波山への観光輸送を担いました。

この両社が合併し、茨城県水戸以南地域の一帯と千葉県の一部を事業区域として誕生したのが関東鉄道株式会社です。合併後の資本金は、4億2,500万円、従業員3,051人、鉄道4路線(常総線、竜ヶ崎線、鉾田線、筑波線、総営業キロ 122.9km)、自動車営業キロ 1,783.2kmで、茨城県内最大であることはいうまでもなく、全国でも屈指の地方民鉄へと生まれ変わりました。

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竜ヶ崎線のワンマン列車

合併後、鉄道線は各線の実情に合った施策を実施してまいりました。通勤通学客の増加する常総線は、輸送力増強に努め、昭和51年に複線化事業に着手し、昭和59年11月15日には、取手~水海道17.2km複線化が完成しました。また、竜ヶ崎線では、昭和46年8月1日、国内で初めて旅客列車のワンマン運行を開始しました。一方、乗客離れの著しい鉾田・筑波線は、昭和54年4月1日、それぞれ鹿島鉄道、筑波鉄道として分社独立し経営改善に努めましたが、筑波鉄道については昭和62年3月31日、鹿島鉄道は平成19年3月31日をもって営業廃止しました。

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ワンマン路線バス

自動車事業では、マイカー普及による乗客減少に対応するため、ワンマン化をはじめとする省力化を徹底するとともに、需要の見込める新規路線の開拓に努めました。

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東京乗り入れの高速バス

昭和62年4月1日に運行を開始した、筑波研究学園都市と東京駅を結ぶ高速バス「つくば号」は大変好評で、その後も、高速バス路線網を拡充し、水戸、鹿島をはじめ県内各地から東京をはじめ成田、羽田空港へと進出しています。また、平成13年4月26日からは茨城県内発着便として初めての関西行夜行高速バス「よかっぺ関西号」の運行を開始しました。

貸切バス事業については、需要の低迷及び規制緩和による競争激化に対応するため、平成11年9月16日、グループ会社を含め「関鉄観光バス㈱」として統合しコスト削減に努める一方、より多くのお客様のニーズに合った営業を展開しています。また、路線バス事業の一部を平成13年6月1日に関鉄メロンバス㈱・関鉄パープルバス㈱へ、平成14年7月1日に関鉄グリーンバス㈱へ移管しました。

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関鉄ニュータウン取手分譲

開発事業は、昭和45年に分譲開始の「関鉄霞ヶ浦阿見台」をはじめとして当社沿線に住宅団地を開発するとともに、各地で賃貸ビル・アパート・貸店舗などの賃貸事業を展開しております。また、平成6年に建設業の免許を取得し様々な事業に取り組んでおります。

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